高53期 澤野 美智子

高53期

澤野 美智子

-立命館大学総合心理学部
大学院人間科学研究科 准教授-

2020/10/20

生野高校創立100周年おめでとうございます。私は文化人類学を研究しています。文化人類学では、フィールドに滞在して現地の人たちと信頼関係を築きながら調査を行います。他者の「当たり前」を通して、自分が「当たり前」だと思っていたことを問い直すことが、目的のひとつです。自分と異なる文化に気づき、「あのひとたちはおかしい」と片付けるのではなく、「あのひとたちが異なっていることは認めるけれど自分には関係ない」と片付けるのでもなく、「なぜ自分はあのひとたちの行為をおかしいと感じるのだろうか」「日本でこのような行為がタブー視されるのにはどんな背景があるのだろうか」などと、他者にヒントを得て探求を進めてゆきます。日常生活においても、自分が「当たり前」だと信じていることが絶対的な「当たり前」ではないと気づくことができれば、「こうあらねばならない(のに自分はできていない)」という規範に苦しんでいるひとは生きるのが少し楽になるでしょう。私は高校時代にクラスの中で「こうあらねばならない(のに自分はできていない)」と苦しみ、受験の「役に立たない」こと(美術やボランティアや有志の劇など)ばかりしていることにも焦りと後ろめたさを感じていましたが、異なる価値基準を伝えてくださる先生方との貴重な出会いがありました。同じような苦しみに悶々とする在学生の方がいれば、文化人類学の本を手に取ってみることをお勧めします。現代日本社会では、何でも「役に立つ」ことが優先される傾向にあります。大学受験の役に立つから新聞を読む、就職の役に立つから〇〇学部を選ぶ、昇進の役に立つから英語を勉強する……。もちろんそのような選択の仕方も良いのですが、「役に立つ」かどうかの価値基準はそのときの政治経済にとって好都合かどうかで決められていることが多々あります。そして人間さえも、「役に立つ」かどうかで評価されるようになってきています。その価値基準は絶対的な真理であるかのように見えますが、本当は絶対的なものではありません。ものやひとについて、その特性が(たまたまその時代や社会で)「役に立つ」から尊いのではない。赤ちゃんが泣いても笑っても何をしてもいとおしまれるように、みんなその存在そのものの価値がいとおしまれ尊ばれるべきはずです。ところが「役に立つ」ことを追い求めてばかりいると、コインの裏表のように「役に立たない」カテゴリーが生み出され、その排除が起こります。「役に立つ」ことを追い求めるのも必要なことですが、時には社会で「役に立たない」と見なされがちな存在にも目を向け、なぜそれらが排除されているのかということ、自分も無意識のうちにその排除に加担しているかもしれないということに思いをはせてみてほしいと思います。


Profile
澤野 美智子


立命館大学総合心理学部・大学院人間科学研究科 准教授。
専門は文化人類学。神戸大学文学部人文学科卒業(学士、文学)。
大韓民国国立ソウル大学校社会科学大学院人類学科修士課程修了(修士、人類学)。
神戸大学大学院国際文化学研究科博士後期課程修了(博士、学術)。
主な著書に『乳がんと共に生きる女性と家族の医療人類学――韓国の「オモニ」の民族誌』(明石書店、2017年)、『医療人類学を学ぶための60冊――医療を通して「当たり前」を問い直そう』(明石書店、2018年)。