中24回・高1期 片山 貞雄

中24回

片山 貞雄

-滋賀大学名誉教授-

2020/10/20

2017年に幸い米寿を元気に迎えることのできた私が是非若い後輩に知って欲しい私達の過去の歴史があります。もちろん、年齢の近い先輩が遭遇したもっとつらい、苦しい現実には及ばないでしょうが、私は今も、時々それを夢に見て目が覚めることがあります。世界を見渡せば、現在でも戦争や紛争で子どもや老人、若人の命が失われている地域や国々も少なくありませんが、私達の子ども時代の7〜8歳頃から、日本と中華民国の間で始まった戦争がわが国では支那(シナ)事変と呼ばれましたが、結局太平洋戦争(第2次世界大戦)へと進みました。その末期、1945年、私達は中学3年生の新学年4月から学徒動員により工場などで働くことになりました。このメッセージでは1945年6月7日、動員先の椿本チェインの工場(放出)で、B29の爆撃により亡くなった4人の同期生のことと、彼らの死をいたむ卒業30周年記念文集『朋友の碑(いしぶみ)』が今から約40年前に同期生により発行され、いかに当時のいわゆる総力戦が残酷な若人の死をもたらしたかを、特に現在の母校の若い後輩に知っていただきたい。この記念文集は主として同期の岡本逸郎・小山仁示君の努力により刊行され、私はそれに掲載されたある記事を書き、1つの座談会に出席しただけですが、今回改めて読み直し、一層その感を強くしました。当該文集は母校の図書室に保存されていると思います。


Profile
片山 貞雄


旧制生野中24回卒業後、彦根経専、滋賀大(経済)、神戸大大学院(経済・修士、博士)修了後、滋賀大(経済)助手、助教授(博士取得)、教授、学部長等を務め、現在は名誉教授。その間、文部省・在外研究員(ドイツ、英国、米国)、フルブライト研究員(ジョージア大学)、中国山東大学、アモイ大学・短期招聘講師歴任。たゆまぬ努力をモットーとしてきた。