高13期 宮崎 衛夫

高13期

宮崎 衛夫

-元大阪外国語大学客員教授元大阪大学
および星城大学非常勤講師-

2020/10/20


生野高校時代の3年間、特に目立った活躍などもできず、青春時代特有の「華やかさ」にも欠け、ごく普通の面白みのない生徒であった。典型的な文系人間で、その中でも英語が好きであまり時間をかけなくても良い成績が残せた。英語が好きになったのは、中学時代の若くて美人の先生のお蔭だと今も感謝している。ある学期の中間試験で、英語は100点、数学は40点以下で、数学の先生から「英語ばかりでなく、数学ももっと真面目にやれ」と叱られたのは、今も苦い思い出だ。米国への留学の一つの道としてAFSという制度があり、2年生の時にその試験を受けたが、アメリカ人との英語面接で、しどろもどろになり不合格であった。もし通っていたらその後の私の人生は今とは違ったものになったに違いない。留学の夢はあきらめ、そのまま生野高校に残ったのであるが、将来は海外で活躍できる人間になりたいとの希望だけは持ち続け、大阪外大に入学した。卒業後は、海外ビジネスの強化を図る銀行に入った。銀行時代の30年、その後の子会社のシンクタンクで幅広く国際関連の仕事に従事し、高校時代の夢を実現する機会を多く得ることができたのは、望外の幸せであった。私の海外志向を陰から促してくれたのは、生野高校の「至誠」の精神と同様に思い出に残る「サンタマリア号」の絵であった。多くの苦難を乗り越え大海原に乗り出したコロンブスの船の絵が知らず知らずのうちに海外雄飛の思いを後押ししてくれていたのではなかろうか。往時と比べ一段とグローバル化が進み、日本一国では何もできない現状を顧みて、母校から、狭い日本を飛び出し世界に羽ばたき異文化を理解し尊敬する有為ある卒業生が育っていくことを切に願っている。


Profile
宮崎 衛夫


1958年 高知、尼崎、大阪の鷹合小学校、中野中学校を経て生野高校へ
1961年 大阪外国語大学(現:大阪大学外国語学部)インドネシア語科入学
1965年 三和銀行(現:三菱UFJ銀行)入行
    大阪、東京、神戸、香港勤務、4ヶ店の支店長経験などを経て
1988年 インドネシア三和銀行初代社長
1994年〜2005年
 三和総合研究所(現:三菱UFJリサーチ&コンサルティング)国際本部長
1997年〜2012年
 大阪外国語大学客員教授、大阪大学および星城大学非常勤講師(国際金融論)     
 これまで仕事+プライベートで、アジア、ヨーロッパ、アメリカ、アフリカの47の国と地域を訪問