高12期 新川 正幸

高12期

新川 正幸

2020/10/20

1960(昭和35)年3月卒業だから、2020年で60年となる。細かな記憶は薄れたが、印象に残っていることがいくつかある。まだ生野の校舎であった。試験の時に、ちんどん屋や生野本通り商店街の拡声器の音が耳障りで、ずいぶん困った経験がある。それでなくとも、あまりできが良くなかったので苦労した。特に化学で1回、幾何で数回0点をとったことがあるが、よく卒業させてもらったと、このことでは感謝している。典型的文系人間だった。クラブは文芸部に所属し、青春ものを何作か発表した。また運動もからきしダメであった。いちばん悔しい思いをしたのは、校内学級新聞コンクールで、小生の作ったものを審査員の先生が、セミプロが作ったものはダメと云って、担任が「彼の字はふだんからこういう字です」と答案用紙を見せて援護してくれたが、結局認められなかったこと。昔あった謄写版で用いた固い字が訓練でうまく書けたのだが…。 松原へ移転してからの母校の躍進ぶりは、目を見張るものがあり、1997年あるホテルで同期会の開催の手続きをしていたら、担当者が、「生野高校のご出身ですか」と感心してくれたこと。私らの時代はそうでもなかったので、誇りに思えそして面映ゆい気持になった。今はスーパーサイエンスハイスクール指定等に選ばれている母校、これからもますます充実し発展してくれることを、切に願っている。


Profile
新川 正幸


1941(昭和16)年9月生まれ 大阪市の小路小・東生野中を経て生高へ 
1960年立命館大学法学部に入学 
1964年卒業し、エース株式会社へ 
1965年10月〜1966年2月 スーツケース製造を学ぶ為、 アメリカ・カナダへ 代表取締役副社長・子会社の社長・監査役等を歴任 
2010年3月 退職 在職中に100回近く海外出張等(主に中国・韓国・台湾等) 
2010年までの10年間、近畿大学商経学部で年1回、実社会での経験等を学生に話す講座を受け持つ 
趣味 鉄道(日本全国の鉄道全線走破済)    
映画・旅行(在職時代とあわせ海外旅行187回)    
1955年頃よりのプロ野球ロッテファン