高36期 吉田 裕一

高36期

吉田 裕一

-気象予報士-

2020/10/20

生野高校100周年おめでとうございます。ここ50年でもずいぶん世界は変わりました。100年の途方もない大きさを感じます。子どものころから、なぜか天気が好きで、小学校のころから天気図ばかりを書き、まったく外に遊びに行きませんでした。「子どもは風の子、外に遊びに行きなさい!」と親から言われても、引きこもるばかり、元気のまったくない風邪の子でした。窓から眺める雲の流れが好きで、窓の端から端までの雲の移動の時間を計ったり、桜の花を見るより新聞の花だよりで「満開」という文字が並ぶと春を到来を感じたりしていました。当時は、運動ができてこその勉強であり、先生から「こんな風になってはいけない」とダメな子どもの見本でした。その後、生野になんとか入学したものの、ついに勉強までもが底辺をさまようになり、友人に誘われ入った音楽部では音痴をさらけだし、勉強、運動、芸術、あらゆるの面で八方塞がり。そんなどん底の中、初めて光が見えたのは、社会科で突然、学年1位をとれたことでした。当時、社会科はほとんどが雑談で全く先に進まないという、今だったら怒られそうな授業だったのですが、偶然にも中間テストの範囲が「世界の気象区分」だけという、天気好きには奇跡的な試験範囲。生野のおおらかな授業スタイルに大いに救われました。 受験は気象大学校を受けるも失敗し、気象を断念、これからの時代はコンピュータ?と情報工学科に入るも、三度の飯よりコンピュータが好きという連中に囲まれ、再び暗雲垂れ込め、仕事もさっぱり。もうあかんと思った時、気象予報士という資格誕生のニュースが!子どもの頃の想いがよみがえり、資格取得後転職。長らく近畿の天気の担当をさせていただくことになりました。もちろん今でもダメな自分には変わりません。オンエアでは失敗ばかりです。ただ、好きな気象に心をこめて誠実に頑張っています。ここでようやく「至誠」登場です。高校時代おぼろげだった言葉の重要性を今になって感じます。地球温暖化が進む中、放送では小さな異常気象も誇大に伝えようとしたり、他の大きなニュースがあると軽く扱われたりもします。こんな時一番大事なことは、ありのまま誠実に伝えることです。そのためには、日頃から最大限の努力が必要で、そうしないと気象現象に対して誠実になれません。周りムードに流されます。至誠には泥臭い努力が含まれます。今、高校時代を楽しんでいる人もいれば、出来が悪くつらい思いをしている人もいるかと思います。なにかを見つけてください。私はたまたま、社会の狭い試験範囲に救われました。そのおかげか、なんとかまだ社会にぶら下がってます。ダメな人間は所詮ダメかもしれませんが、なにかを突き詰めればなんとか生きていけます。その際は「至誠」の精神で!


Profile
吉田 裕一


1965年  大阪市生まれ
1989年  大阪大学基礎工学部情報工学科卒業
1989年 沖電気工業(株)入社
1995年  気象予報士取得
1996年  (株)ウェザーニューズ入社、朝日放送担当に
1999年  「おはよう朝日土曜日です」天気担当。その他ラジオの天気出演。
2008年  京都大学理学部地球物理学科修士課程卒業
現在出演中の番組テレビ:「おはよう朝日土曜日です」、昼の天気ラジオ:「兵頭大樹のほわっとええ感じ」、「桑原征平酸いも甘いも」