高36期 宮地 充子

高36期

宮地 充子

-大阪大学大学院 工学研究科 教授-

2020/10/20

生野高校創立100周年おめでとうございます。母校の100周年創立記念に寄稿できることを本当にうれしく思います。今一度、生野高校の掲げる至誠の意味を高校3年間から振り返ってみようと思います。私が生野高校に通った時期は、大阪府の高校は9学区制に分割され、生野高校は第7学区のトップ校でした。河内長野市に住んでいましたので、松原市にある生野高校は物理的に遠く、未知の高校に入学することにわくわくしたことを今でも覚えています。初めての電車通学(約1時間)、各地から来る学生(第7学区は広く、河内長野で乗り換えて、狭山に向かう学生もいました)との交流、なぎなた(体育)、エスペラント語(数学の余談)、工芸など、様々な初めての学問に触れ、広がった世界に毎日が躍動していたことを思い出します。入試のために学ぶのではなく、学問の意義、大切さも学びました。私は理系でしたので、高校3年では共通一次試験が終わると、日本史は二次試験の科目から外れますが、センター試験後も、日本史の授業では戦後史が詳細に教えられます。私は2次試験に向けて余裕がない中で、戦後史の授業を学んだことを覚えています。生野高校時代の多感な毎日の中で、私は今の職業にもつながる進路決定をしました。何となく数学好きで過ごしていた私が、理学部数学科への進学を決めたのは高校3年生の時でした。流行の就職先を意識して学科を選ぶ友達も多く、私もかなり悩みました。「私は何になりたいのか?」。最終的には、「時代はこれからも変わる、時代が変わっても生きていけるように、今は好きな数学をもっと勉強しよう」。無事に大阪大学理学部数学科に入学しました。学部時代に教職課程も修了し、大学院時代に生野高校に数学の非常勤講師として戻ることになります。塾ではなく、予備校でもなく、家庭教師でもない、高校での数学の指導は教育とはどうあるべきか、生野高校の先生方がどのように教えているのかを学ぶ機会になりました。学生に寄り添った教育は生野高校での非常勤講師の時代に培われたように思います。在校生の皆様はコロナ共生時代の到来とともに、変わりゆく時代を経験していると思います。コロナがなくても、世の中は変わっていきます。鴨長明の「方丈記」にも「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と記載されているように、森羅万象は無常です。では変わらないものは何か?それが「至誠」の精神だと思います。至誠の実践は2つあると思います。第一に、生野高校で実施される講義や行事は精一杯参加して、吸収することです。講義や行事は、これから皆さんが生きていく糧となる知識や行動の習得を目的として組まれています。それは大学入試という近い目標ではありません。第二に、友達や先生との関係の中で、自分と異なる考えや行動を受け入れられる多様性を身につけることです。理論的に人はみんな違うことを知っていますが、実践的にそれを行動に移しているか?というとそれほど簡単ではありません。多数決で物事を1つに決めることに慣れると、多様な考え方を受け入れる許容性が減るように思います。“It is not the strongest of the species that survives, nor the most intelligent that survives. It is the one that is most adaptable to change.”はダーウィンの言葉です。社会全体としてとらえると、多様な考えを許容できる社会が変化の時代にも生き残れるとも考えられます。皆さんが、これから、生野高校で学んだ様々な経験をもとに輝き続けられる人生を進められることを期待しています。最後になりますが、生野高校の同窓生として、これからも生野高校が発展していくことを心からお祈りします。また、各種100周年記念行事を実施して頂きました生野高校関係者の皆様に心からお礼を申し上げます。


Profile
宮地 充子


生野高校卒業後、大阪大学理学部数学科入学。大阪大学大学院理学研究科数学専攻時代に生野高校非常勤講師。大阪大学大学院理学研究科数学専攻修了後、パナソニック(株)に入社。北陸先端科学技術大学院大学・准教授、教授を経て、現在、大阪大学大学院工学研究科教授。独立行政法人 情報処理推進機構 監事を兼務。情報セキュリティ、プライバシの研究・教育及びセキュリティ技術の国際標準化に従事。2014年度文部科学大臣表彰 科学技術賞 研究部門、2017年電子情報通信学会マイルストーン他受賞。