北谷 しげひさ
2020/10/20
生野高校の最初の記憶と言えば、高校受験の時に親に誘われて、河内松原に移転したばかりの緑色の新校舎を見に行ったことです。環境に一目惚れをして、ここに入りたいと思いました。入学した僕達24期は、今の校舎の1期生になります。新校舎は、とても綺麗で快適で良かったんですが、1年生の最初の頃の体育の授業は、トンボを持って運動場作りでした。クラブ活動も、テニス部に入りましたが、コートが完成していなくて、土が剥き出しのコートでラリーをした思い出があります。また、秋の体育祭では、出し物として大きな龍を作り、夜のキャンプファイアーで、みんなで練り踊りました。2年生になると、世の中の大学で学生運動が盛んになり、生野高校でもその影響を受けました。集会で『友よ』等のフォークソングを歌い、ベトナム反戦とか、社会との関わり合いを考え始めたものでした。そして、エスカレートして学園封鎖になり、全学集会を開催したこともありました。3年生になり、大学受験が目前に迫り、学年全体が受験モードに入りました。昔から絵を描くことが好きだった僕は、芸術大学に目標を絞り、美術部に入りました。そして、友達と一緒に、愛知芸大と京都芸大を見に行き、2つの大学を受験することにしました。この頃、美術担任の吉村先生には、アートの世界に目覚めさせていただいて、とてもお世話になりました。ただ、現役の時は、受験倍率が25倍と異常に高く、どちらも合格出来ませんでした。1年浪人をして、山のようにデッサンを描き、色面構成や立体構成等のデザインの基礎を繰り返しました。その甲斐があり、無事に愛知芸大のデザイン学科と、京都芸大のファインアート領域の造形学部に合格しました。デザイナーになるのかアーティストになるのか、どっちの大学に行こうか、19歳の僕は贅沢に悩みました。1週間考えて、またもや、吉村順三という有名な建築家が設計した愛知芸大の素晴らしいキャンパスの環境に惚れ込み、また、これからはデザインの時代が来るということもあり、愛知芸大のデザイン学科に進学することにしました。この選択は、今思えば大きな人生の分岐点でした。大学生活は、クリエイティブを中心にしたカリキュラムで、本当に楽しく夢のような時間でした。愛知芸大で、デザインの基礎をじっくり学び、就職は東京へと勝負に出ました。そして、永井一正や横尾忠則という著名なデザイナーが在籍していた、日本デザインセンターという歴史のある会社で、デザイナーとしての実経験を積み、大胆にも28歳で独立をしました。以降、アートディレクター、グラフィックデザイナー、イラストレーターとして、広告業界や出版業界で、30年ほどフル回転で活動をしました。働き盛りが、日本経済の成長期ということもあり、大企業の広告やブランディングの仕事等で60回程、世界中を回りました。ヨーロッパやアメリカなどで広告の撮影をしたり、ニューヨークのクリエイターとコラボレーションしたり、デザイナー冥利に尽きる、思いっきり仕事の出来る良い時代でした。そして55歳の時に、相模女子大学のデザイン学科からオファーがあり、専任教授としてビジュアルデザインの教鞭をとることになり、今年で満10年を迎えています。現在は、教育の楽しさにも目覚め、学生たちの指導をしながら、自分の創作活動も両輪で行っています。母校の創立100周年の機会があり、人生を少し振り返ってみましたが、生野高校が僕の原点であり、幸せな人生だったなぁと思います。この生野高校では、今も夢を持った若者が学んでいる事と思います。是非、ここで力を蓄えて素敵な人生を送って下さい。僕も、これからも引き続き、魅力的な作品を制作していきたいと思います。
Profile
北谷 しげひさ
大阪生まれ。生野高校24期。
愛知県立芸術大学デザイン科卒業。
日本デザインセンターを経て独立。
アートディレクター、グラフィックデザイナー、イラストレーター、絵本作家として活動を始める。
2008年から現在まで相模女子大学 学芸学部生活デザイン学科 教授。
パーマネントコレクション Museum fur Gestaltung Zurich Museum Fur Kunst Und Gewerbe Hamburg PECSI GALERIA PLAKATOK Hungaria
広告や出版を中心に、グラフィックやTVCM等のヴィジュアルデザイン領域で活動中。
これまで8冊の絵本を出版。
▼北谷しげひさ 公式ホームページ
http://www.tis-home.com/kitatani-shigehisa
▼相模女子大学 公式ホームページ
http://www.sagami-wu.ac.jp/index.html